むさし野文学館とは 〜むさし野文学館のコンセプトとMUSASHINO-B PROJECT〜

むさし野文学館は、今までの文学館と何が違うのか。

今の武蔵野

 かつて武蔵野は茫々たる原野でした。果つることなく広がっていました。その原野は、古来より東西の詩人たちの心を惹きつけ、文化創造の源であり続けました。しかし、現代の武蔵野に、畏怖の対象となる原野はありません。
 近世になって生活のために拵えられた雑木林。その面影を懐旧の念をもって追い求める人たちも、雑木林の向こう側に原野を幻視する経験からは遠ざかっています。得体の知れなさへの感受性を失った現代人の想像力は萎縮し、奥行きが狭まっているように感じてなりません。では、どうすれば私たちは原野としての"武蔵野”を取り戻せるのでしょうか。

“武蔵野”を取り戻す

 私たちが導き出した答え、それが「むさし野文学館」です。むさし野文学館は実在する施設の名称であると同時に、際限なく広がるオンラインの世界とシームレスにつながる表現空間を意味する符号です。
 むさし野文学館の目的は、伝統的な文学に光をあてて、そこに潜んでいる根源的な何かをあぶり出し、現代のテクノロジーを用いた豊かな表現手法と組み合わせて、世界に向けて次代の「武蔵野文学」を想像/創造することにあります。

文学館への歩み

 思えば、私たちも“原野”のように何もない場所から出発しています。
 2006年11月8日、物理的な空間のない場所で文学館準備室は産声をあげました。まもなく秋山駿は、同準備室に蔵書の一部を寄贈し、倉庫に積まれました。2008年3月、学部生3名、大学院生1名とともにその整理と目録作成に着手し、「秋山駿文庫」(仮)と名付けます。同年10月29日に武蔵野大学は、附置機関としての「武蔵野文学館」(機関名)を開設、名誉館長に大河内昭爾を迎えます。まもなく秋山駿は、武蔵野文学館準備室に集う有志に蔵書の整理を一括して託すようになり、寄贈すること十数回を数えました。

“武蔵野学”の生成

 2008年度には文学部の教員全員体制で共同研究を開始、『武蔵野日本文学』誌上で“武蔵野学”を標榜し、「武蔵野学」はすぐに公開講座と授業科目(後に必修化)となります。2010年度には『武蔵野文学館紀要』を創刊。また同年10月22〜24日には、学部生・院生・卒業生とともに、企画展示「武蔵野の教壇に立った文学者−土岐善麿・秋山駿・黒井千次−」を、翌年9月3日・4日には、企画展示「武蔵野に迷う−保谷・三鷹・小金井の作家たち−」を開催し、展示図録を刊行しました。

映画製作へ

 2014年度には、ゼミ生を母体にした30名ほどのグループで、大学周辺の土地と文学との関わりを踏査し、その成果と“聖地巡礼”の様子を自己言及的に撮影し、ドキュメンタリー映像作品として完成させました。学内外にてパネル展示と上映会を開催し、1200人以上の方にご覧いただきました。2016年3月には、文学部創立50周年記念映画として劇場版の「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」(88分/日本/カラー/ステレオ 製作:武蔵野大学 「西東京と紡ぐ文学」実行委員会)を渋谷アップリンクで公開しました。そこには、学生たちが蔵書を整理している姿や装幀家の秋山法子が夫秋山駿を語るインタビューも一場面として映し出されています。

むさし野文学館の誕生と創造

 2017年3月、旧蔵書14370冊を記載した『秋山駿蔵書目録』を刊行。2018年3月には、国木田独歩「武蔵野」の成立背景とその後の“武蔵野”を佐々城信子の視点から描いた短篇映像『nobuko』が製作されます。そして同年4月22日、水谷俊博研究室設計の「むさし野文学館」が柾工務店の手により竣工。もっぱら人と人との繋がりと制作物だけで構築してきたイマジナリーな空間に初めて形が与えられ、蔵書群を“森”として展示することを可能にした物理的な場所が誕生しました。
 2019年7月には、黒井千次の武蔵野短篇集『たまらん坂』を原作として小谷忠典が監督を務めて映画化した「たまらん坂」(Tamaran Hill:日本/86分/モノクロ/ステレオ/英語字幕 製作;武蔵野文学館)が、マルセイユ国際映画祭に選出されてワールドプレミア上映を果たしました。同作は、第20回「ニッポン・コネクション」日本映画祭(2020年6月9日―14日、オンライン開催)でも上映されます。今後も、この文学館を拠点にして世界に向けて次代の「武蔵野文学」を想像/創造する足掛かりとなれば幸いです。

武蔵野とは何処か

 “武蔵野”という地名をめぐる学問的追求は、近世以前からありましたが、明治期の国木田独歩「武蔵野」(1898)以降、武蔵野言説は文学を中心にして大きく展開されていきます。土岐善麿や若山牧水の創作によって「むさし野」短歌の世界が開拓される一方で、大正期には「武蔵野会」(1916〜)の「武蔵野趣味」の対象となります。さらに昭和戦後期には「文学散歩」(野田宇太郎)定番の地となり、過去(戦前)を懐かしみつつ掃苔および「聖地」巡礼がおこなわれました。それらは大河内昭爾らの文学風土論的な考え方によって実践的に引き継がれますが、20世紀後半になると新しい考え方が席巻することになります。柄谷行人『日本近代文学の起源』(1980)によって独歩の「武蔵野」が遠近法の成立をめぐる議論の俎上にのせられ、加藤典洋『日本風景論』(1990)によって「風景論」的考察の対象となり、新たな認識論的布置が提示されて実証主義研究とは異なる可能性に注目が集まりました。そろそろこれらの総括をする時期を迎えているのかもしれません。

敬愛と畏怖の間で

 21世紀になって武蔵野の地で誕生した当文学館を、私たちは「むさし野文学館:musée-bibliothèque en l´honneur des ecrivains de musashino」と名付けました。担い手となるのは、武蔵野に縁のある文豪やアニメーターたちだけではありません。園児から中学生、高校生、大学生、卒業生に至るまでの学校法人武蔵野大学にかかわるすべての人たち、この地と縁のある人たちはもちろんのこと、無限に広がるオンラインの世界を通じてMUSASHINO-Bにアクセスしてくださった人たちと「敬愛」と「畏怖」の念を以て繋がり合えたとき、そこには新たなmusashinoが立ち上がっていることでしょう。
 このサイトでは、枠に囚われることなく研究と批評と創作の成果を公開してまいります。さまざまなコンテンツを掲載し、さらに多くの表現者が集い、伝統(口承、芸能、文芸)と現代(写真、漫画、動画)とが出会う場の生成を実現していきたいと考えています。


武蔵野文学館
むさし野文学館 館長 土屋忍


MUSASHINO−Bについて

Bungakukanの「B」ですが、・Base(拠点)・Broadcast(放送)・Boundary(境界線)・Breed(育む)・Build(つくる)・Barbarian(発展途上の)・Bare(むきだしの)などがすべて「武蔵野」のイメージと繋がると考え、プロジェクト名を「MUSASHINO−B」としました。なお、「武蔵野文学館」は機関名で「むさし野文学館」は武蔵野大学の紅雲台東側に位置する場所の名前ですが、「むさし野」という表記は土岐善麿が好んで用いた呼称に因んでいます。「む・さ・し・の」は、歴史的な由縁や物語を踏まえて、む(むらさきのゆかりに)・ さ(桜の下から想いを馳せて)・し(詩を作るように田を作り)・の(野にありて面影を編む)と捉えることもできるでしょう。  

文学館の収蔵資料(随時更新予定)

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・漱石資料(夏目漱石に言及のある文献コレクション)*小平書庫に所蔵
・大河内昭爾旧蔵書 *小平図書室に開架(公開中)
・原川恭一コレクション(初版本)*小平書庫に所蔵
・杉本苑子文庫(寄贈資料)*整理中
・三田誠広文庫(寄贈資料)*整理中
・秋山駿文庫(寄贈資料) *大部分をむさし野文学館に開架(公開中)
 文芸評論家の秋山駿(1930〜2013)は、専任教授及び客員教授として、7年の歳月を武蔵野大学(旧武蔵野女子大学)で過ごしました。武蔵野文学館準備室の発足にともない、ひばりが丘団地にあった蔵書の一部、5889冊を寄贈。その後は準備室が蔵書の整理と管理を担うようになり、2014年には、故人の遺志に基づき1万5000点を超える資料(装幀家秋山法子の作品を含む)が委託されます。2018年には「むさし野文学館」が竣工されて、旧蔵書の大部分を収納し、開架資料として公開しています。

蔵書目録検索

むさし野文学館が所蔵している作品目録を検索できます。右記の「検索画面を開く」をクリックすると、検索専用画面が表示されますので、調べたい項目を入力あるいはチェックして検索してください。

施設概要

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【開館日】 毎週月曜日・水曜日・金曜日
【開館時間】10:00〜16:00(事前予約制・15:30最終受付)
【入館方法】
 ・学生の方  入館には学生証が必要です。受付で学生証をお預かりいたします。
 ・卒業生の方 事前に下記問い合わせ先までメールでご予約下さい。ご来場の際に受付にてお名前を確認させていただきます。
 ・一般の方  事前に下記問い合わせ先までメールでご予約下さい。ご来場の際に受付にてお名前を確認させていただきます。
【予約方法】事前に下記問い合わせ先までメール(info@musashino-bungakukan.jp)でご予約ください。
【ご利用にあたっての注意事項】
 -館内での飲食・喫煙はご遠慮ください。
 -館内資料の持ち出しはご遠慮ください。
 -館内に一度に入れる人数には限りがございますので、混雑の際には入館をお待ちいただく場合がございます。
 -開館日や開館時間は、変更する場合があります。

【アクセス】  武蔵野大学 武蔵野キャンパス内 紅雲台1階  → 武蔵野キャンパス案内図はこちらを参照ください
〒202-8585 東京都西東京市新町1丁目1−20



書架案内図

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「むさし野文学館」書架案内図について

 「本の森」であるむさし野文学館は、足元から頭上高く、本が並ぶ空間です。そこに並ぶ本がどんな本なのかということを知らなくても、本が好きな人であれば、そうした空間自体にワクワクするものであり、一歩足を踏み入れると時間が経つのも忘れて何かを見つけようと探検してしまう、そんな雰囲気が此処にはあります。
 「本の森」の探検のお供となるのが、この「書架案内図」です。
 書架案内図内に描かれた木のイラストがある場所には、ジャンルごとに本が並ぶのではなく、特別な意味を込めた空間としてデザインされています。是非、書架案内図と照らし合わせながら本の背表紙を眺めて、それぞれの空間に浸ってほしいと思います。これらの空間は「止まり木」と名付けられています。本の森の中で気に入った本と出逢った時に、座ったり、立ち止まったりしてゆっくり本を読みながら休憩が出来る、いわば鳥にとっての止まり木のような存在、そういう空間になれば、という想いを込めています。
 数段の階段を上がった先に「アートの丘」があります。赤い絨毯が敷いてある一畳ほどのその空間は、お尻を床につけて、のんびり寛ぎながら本を手に取ることが出来る場所です。手を伸ばすと、芸術関係の本や画集・写真集などがあり、そこはまるでちっちゃな美術館のようでもあります。
 (小亀舞)

設立経緯

2006.11.08.

「武蔵野文学館準備室」発会式が開催される。3月まで武蔵野(女子)大学の教壇に立っていた秋山駿が、同準備室に蔵書の一部を寄贈。「秋山駿文庫」(仮)と名付ける。

2008.10.29.

「武蔵野文学館」(機関名)、武蔵野大学の附置機関として正式に開設される。名誉館長に大河内昭爾を迎える。

2009.03

『武蔵野日本文学』第18号で「武蔵野学」の特集が組まれる。

2010.10.22-24.

企画展示「武蔵野の教壇に立った文学者−土岐善麿・秋山駿・黒井千次−」が開催される。

2011.03.

『武蔵野文学館紀要』創刊号が刊行。「武蔵野文学」の特集が組まれる。

2011.09.03-04.

企画展示「武蔵野に迷う−保谷・三鷹・小金井の作家たち−」が開催される。

2013.10.02.

秋山駿、逝去。
以後、「秋山駿亡きあと日本には文芸評論というものが存在しなくなった」と言われる。

2014.07.04.

論文集『武蔵野文化を学ぶ人のために』が世界思想社から刊行される。

2014.11.03-04.

企画展示「西東京と紡ぐ文学―ムサシノ大生が読むこの街―」が開催される。

2014.11.15.

追悼シンポジウム「秋山駿とは何ものか」が開催される。故人の遺志に基づき、最後の蔵書の整理をおこなう。装幀家の秋山法子とともに蔵書の保管場所の検討を開始し、武蔵野大学工学部の水谷俊博研究室に「蔵書のミュージアム」の設計を依頼。

2016.03.

武蔵野大学文学部創立50周年記念映画として製作された『ウエスト・トウキョウ・ストーリー』が渋谷アップリンクで公開される。秋山法子、リチャード・エマートらが出演。

2017.03.

『秋山駿 蔵書目録』を刊行。

2018.04.22.

武蔵野大学、紅雲台東側の一部を改修した「文学館」を竣工。機関名とは区別して正式名称を「むさし野文学館:musée-bibliothèque en l´honneur des ecrivains de musashinoo」とする。竣工を記念して映像作品「nobuko」を製作。

2019.07.

武蔵野文学館製作の映画『たまらん坂』がマルセイユ国際映画祭で、ワールドプレミア上映される。黒井千次、古舘寛治、渡辺真紀子、渡邊雛子らが出演。

2020.05.

むさし野文学館Webサイト(デジタルアーカイブ)がスタート。

“武蔵野文学”事始め(館長による動画付き)

逃げ水の巻

 「逃げ水」と言えば、夏の暑い時にアスファルトの路面などで遠くに水たまりがあるように見える現象を呼ぶことが多いでしょうか。秋元康が作詞している乃木坂46の「逃げ水」でも、「水たまり」「ミラージュ」という言葉とともに「逃げ水」が用いられています。
 「逃げ水」は、和歌の世界で「武蔵野」とともに詠まれてきた自然現象ですが、光の屈折が生ぜしめる錯覚としての水たまりのことを指すとは限りません。諸説あり、蜃気楼のようなものだとする説もあれば、武蔵野(東国)特有の低所に発生する霧や靄とする説、あるいは水の流れが地中に隠れる現象(伏流水)を指すとする説もあります。いずれにしても、和歌の世界では、「武蔵野」という地名を導き出す序詞として用いられてきましたので、京の都では、「逃げ水」と言えば武蔵野、武蔵野と言えば「逃げ水」と有名だったことがわかります。
 今回は、「あづまぢにありといふなるにげ水のにげのがれてもよをすぐすかな」(源俊頼「恨躬恥運雑歌百首」)をとりあげて、“逃げ水の武蔵野”に想いを馳せてみました。