• 2021.01.05

    新春のご挨拶を申し上げます。

新春のご挨拶を申し上げます。

元旦の朝、武蔵野の丘に立ち、雪をかぶった富士の山をのぞみました。
白い月と橙色の朝日が青空を彩り、富士山をくっきり見せていました。
「武蔵野のみどりさやかに ふみしめて立つわが大地 生かされてわれらここに 雪頂の富士をあおぎて 人それぞれに夢あり」(作詞:大河内昭爾)という武蔵野大学の校歌の一節が、実感をともなって迫ってくるひとときでした。
(武蔵野大学の卒業生でもあるシンガーソングライター・松本佳奈さんが歌う校歌「ああ 武蔵野の野にあれば」のMVはこちらからご覧いただけます。)

1月2日、3日には、毎年恒例の箱根駅伝が今年も開催されました。最後の10区でまさかの逆転劇が生まれ、テレビで観戦していた人たちの心を動かしました。箱根と大手町とを往復して結ぶそのルートは、駿河国、伊豆国、相模国、武蔵国を結ぶ旧東海道の一部と重なります。往路と復路の中間地点である3区と8区を走る選手の背景には、それぞれの角度で富士の山が映り、オンライン富士講のようにも見えました。

「駅伝」の起源は、1917(大正6)年、32歳だった土岐善麿が読売新聞社会部長として手がけた「東海道駅伝徒歩競争」です。当時は京都三条大橋から上野不忍池まで、東海道を飛脚のように宿場で襷(たすき)を繋ぎました。京都から東京に都(みやこ)が遷り、天皇が東行して50周年という節目を祝う記念行事として企画されたものです。江戸時代に開拓された武蔵野(関東一円)が近代的に開発されて50年、アッという間に明治の東京(首都圏)が開花したというイメージの転換を読み取ることができます。また、千年の都であった京都から東京都へ、中心が移動したという事実を改めて確認する意味もありました。激しく移りゆく時代の中で、変わらぬものこそ安寧を導くのだとしたら、富士山はその象徴だと言えるでしょう。

武蔵野大学の大河内昭爾氏(武蔵野文学館名誉館長)を中心に創設し、教育研究活動の一環として続けてきた「武蔵野文学賞」や「武蔵野学」は、幸いにも角川文化振興財団が手がける角川武蔵野ミュージアムや角川武蔵野文学賞などにおいても継承され、主にサブカルチャーの分野で展開されるようになったようです。

この武蔵野の地で、変わらぬものを仰ぎながら変わりゆくものを見据え、願いたいと思います。新しい年が明るい年でありますように。

2021年1月5日
館長 土屋 忍



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