東京西郊の三鷹駅に降り立ち、南口の商店街を通り抜けたその先に、禅林寺という黄檗宗おうばくしゅうの寺院があります。おもむろに墓地に入り中心部まで進むと、向かって右手に明治を代表する文人森鷗外のお墓が、左手に昭和を代表する文人太宰治のお墓が位置する一角があります。今や禅林寺は、文学愛好者が足を運び手を合わせる聖地でもあります。

津島修治(1909~48年)が作家太宰治として禅林寺に埋葬されたのは、鷗外の墓がそこにあったからです。太宰治の小説「花吹雪」には次のような一節があります。

「(上略)すぐ近くの禅林寺に行ってみる。この寺の裏には、森鷗外の墓がある。どういうわけで、鷗外の墓が、こんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓地は清潔で、鷗外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗こぎれいな墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれない(下略)」。

この作品は一種の喜劇であり、「男子の真価は、武術にあり」という趣旨の「先生」の講義を「私」がツッコミを入れながら速記するという形式をもつフィクションです。「文豪にあやかりたいという願いをくみ取った周囲が、入水後の太宰の遺体を鷗外墓の近くに葬りました。鷗外の魅力が「凛乎りんこたる気韻きいんのある」文章と「無礼者ぶれいものに対しては敢然と腕力をふる」う武術にあることを確かめ、「同じ墓地に眠る資格は私に無い」と墓前で「萎縮いしゅく」してみせる「私」の姿は、確かに太宰のイメージと重なります。