大河内昭爾の文学講話
土岐善麿・人と作品
・武蔵野大学 国文学会講演会(1996年12月3日)
安吾と親鸞-堕落論と歎異抄
・武蔵野大学 最終講義(1998年1月13日)
近代文学にみる家族像
・武蔵野大学 公開講座(1998年6月5日)
年譜(武蔵野大学法人蔵の略年譜による)
1928年 3月7日鹿児島市生まれ(本籍地は宮崎県都城市)。
1947年 3月、県立第二鹿児島中学校卒業。
1948年 4月、第二早稲田高等学院入学。
1953年 3月、早稲田大学第一文学部国文専修卒業。4月、嘉悦学園嘉悦女子高等学校教諭(1960年3月まで)。
1960年 4月、武蔵野女子学院短期大学専任講師就任、日本近代文学会会員。4月、朝日新聞文学散歩講師(1988年3月まで)。
1963年 3月、早稲田大学国文学会会員。4月、武蔵野女子学院短期大学助教授、武蔵野女子学院短期大学図書館長。『現代の抒情』(早稲田大学出版部)。
1965年 4月、武蔵野女子大学文学部助教授就任、武蔵野女子大学図書館長就任(1978年3月まで)。
1967年 4月、『月刊ペン』新人文学賞選考委員(創刊記念として)。
1970年 4月、早稲田大学理工学部兼任講師 (1981年3月まで)。10月1日、武蔵野女子大学文学部教授(1998年3月まで)
1972年 4月、日本文藝家協会会員。7月、武蔵野女子学院評議員(1996年3月まで)。
1975年 4月、國學院大学文学部兼任講師(1991年8月まで)。
1976年 4月、仏教文学会会員。
1977年 7月、西南学院大学国際文化学科兼任講師(集中講義)(1978年3月まで)。
1979年 4月、武蔵野女子大学学部幹事(1980年3月まで)、日本女子大学図書館友の会講師(1998年3月まで)。
1980年 4月、武蔵野女子大学副学長(1988年3月まで)、武蔵野女子大学文学部長(1996年3月まで)、武蔵野女子大学短期大学部副学長(1988年3月まで)武蔵野女子大学短期大学部長 (1996年3月まで)、島崎藤村学会会員。5月、武蔵野女子学院理事(1996年3月まで)。
1981年 4月、『文學界』(文藝春秋社)同人雑誌評担当。
1983年 2月 日本ペンクラブ会員。
1984年 4月、早稲田大学第一文学部兼任講師(1988年3月まで)。4月、全作家文学賞選考委員(1995年12月まで)。
1985年 1月、厚生省『共済文芸』小説、随筆、紀行文の部選者(1988年まで)。
1988年 4月、武蔵野女子大学学長(1996年3月まで)、武蔵野女子大学短期大学部学長(1996年3月まで)、武蔵野女子大学付属幼稚園園長(1992年3月まで)。
1989年 4月、平成元年度日本放送協会東京都視聴者会議委員(1990年3月まで)。
1990年 4月、仏教文学会常任委員(1992年3月まで)。
1991年 4月、武蔵野女子学院学院長(1994年1月まで)、朝日カルチャーセンター講師、『ふるさと文学館』全55巻(ぎょうせい)企画推進委員(1994年3月まで)。10月、武蔵野市生涯学習基本構想検討委員会委員長(1992年10月まで)。
1992年 4月、東北北海道文学賞選考委員。5月、武蔵野市制50年記念論文選考委員長(1993年4月まで)。
1993年 4月、昭和文学会代表幹事(1996年3月まで)。7月、学校法人文化学院理事、評議員。8月、『文芸年鑑』編集委員。
1996年 1月、財団法人仏教伝道協会評議員(2000年3月まで)。4月、財団法人武蔵野文化事業団理事、NHK文化センター講師 (2001年3月まで)。7月、『季刊文科』編集委員。
1997年 4月、社団法人日本文芸著作権保護同盟理事(2016年3月まで)。5月、四日市市市制100年「ふるさと文学賞」選考委員 (1998年4月まで)。
1998年 武蔵野女子大学名誉教授。6月、日本文藝家協会評議員。
2000年 5月、日本文藝家協会理事。7月、日本文藝家協会編纂物委員長。
2002年 4月、社団法人日本文芸著作権保護同盟常務理事(2004年3月まで)。9月、埼玉文学賞選考委員。
2003年 武蔵野大学名誉教授(大学名称変更)。2月、日本文藝家協会著作権センター監事。
大河内 昭爾(おおこうち しょうじ)1928年3月7日 - 2013年8月15日。
日本の文芸評論家。武蔵野大学名誉教授、長年にわたって同人雑誌評を担当し、全国の文学愛好家の活動の支えとなり、新たな書き手を発掘、育成した。仏教と現代文学の関係を研究するとともに、『食の文学館』等を主宰して風土と食の文学を追求、また『季刊文科』を創刊して現代文学を称揚した。文学散歩の達人でもあり、文学地図を語るその語り口は、数多くの学生、市民を魅了し続けた。本学においては、1960年に着任以来、短期大学の講師、文学部の教授、学長、学院長、三鷹サテライトの講師として、文学の啓蒙と教育に傾注した。武蔵野大学の校歌の作詞者でもある。