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作品概要

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 20世紀後半の日本で書かれた黒井千次の短編小説「たまらん坂」は、19世紀後半に誕生した名作「武蔵野」(国木田独歩)を継承した武蔵野文学です。土屋忍(武蔵野大学文学部教授)と小谷忠典(映画監督)は、2015年7月から「たまらん坂」の映像化に着手しました。始まりは「日本文学文化研究調査実習」という授業の一環であり、日本語で書かれた小説の言葉とその時代、舞台となる場所を深く理解することを目的として取り組みました。本作主演の渡邊雛子を含めた受講生11名が母体となり、その後は他大学を含めた有志の学生や卒業生50名以上が参加し、また原作者・黒井千次氏の全面協力、俳優の小沢まゆ氏、渡辺真紀子氏、古舘寛治氏の出演、若手注目のアニメーション作家・大寳ひとみ氏の参加などにも恵まれ、4年の歳月をかけて完成に至りました(2019年/モノクロ/86分/5.1ch)。2024年に100周年を迎える武蔵野大学は、映画『たまらん坂』を100周年記念事業の一環として支援しました。英語字幕は、マイケル・ボーダッシュ氏(シカゴ大学教授)が監修しています。この映画を、20世紀までに生を授かった全ての人たちと、21世紀生まれの全ての若者たちに捧げたいと思います。

STORY

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 20××年、都心。小雨降る秋の日、女子大生ひな子が、母親の墓のある寺の境内を歩いている。毎年、命日には父親の圭一と二人で墓参りに訪れていたのだが、今年はひな子一人であった。ふと、母の墓前に一輪のコスモスの花が供えられているのがひな子の目にとまる。母方の祖父も祖母も既に鬼籍に入っており、母が亡くなってから17年、墓前で他人の影を感じることはなかったので、ひな子は不審に思う。

 携帯電話が鳴った。受話器の向こう側では、台風の影響で飛行機が欠航になり墓参りに来られないことを告げた上で、「たまらん」と漏らす父親の声が聞こえる。母の思い出がほとんどない、と住職に語りかけるひな子。

 その日の午後は、就職活動のための「キャリアデザイン」という授業だった。「就職請負人」という異名を持つ女性教授はひな子に自己分析ができていないと注意を与える。亡き母の記憶がないのなら、逆にそれを利用してインパクトの強い出自をこしらえて就活用のキャラを設定すればよい、というアドバイスを受ける。そのとき教授の勧めた「被災地チルドレン」という言葉にひな子は強い違和感を覚えて身体を強張らせるが、何が自身をそうさせるのか、その正体にはまだ気づいていない。

 その夜、フルサトのことを考えながら帰途についたひな子は、お気に入りの古書店に立ち寄り、店員に本を紹介されて購入する。圭一の漏らした言葉がタイトルに入った『たまらん坂』という文庫本であった。駅のホームで読み耽るひな子。黙読する彼女の身体を通して朗読する声が響く。声が立ち上げる小説世界と、ひな子のイメージするモノクロームの世界がひろがる。

 自宅(都心の寺院)に帰ったひな子は、預かっている養子の男の子と夕食をとり母の遺影に手を合わせるが、海で逝った母の記憶を細かく語る彼の言動が癇に障ってたまらない。境内で『たまらん坂』の続きを読み進めていくと、あるページで「谷保」の文字を見つけ、母が生まれ育った谷保のこと、母の妹であるみずきとそこで過ごしたことなどが微かに脳裏を過る。

 翌朝、圭一が出張から帰ってきた。ひな子は、墓前に供えてあったコスモスのことを訊ねるが、圭一は口ごもる。誤魔化されるわけにはいかないひな子は、いつになく食い下がり、とうとうみずきから届いていたエアメールを見つけ出す。15年前、みずきはルーマニアに移住して養蜂家になったのだが、谷保の学園に呼ばれて一ヶ月前には帰国していた。圭一はひな子がみずきと会うことを歓迎していないような様子である…

 数日後、ひな子は郊外(谷保)へ赴き、みずきの養蜂場を訪ねる。作業中のみずきがひな子に気づき、古びた講堂に迎え入れる。おもむろに昔話を始めるみずき。ひな子の記憶も遡行を始める。ひな子は母の死後、ショックで言葉を出せなくなり、一時期この学園に預けられていたのだという。その頃のことをぼんやりと思い出していくひな子。

 二人はそのまま学園の外に出て、谷保の地から湧き出る水の流れを感じながら、川沿いの道を散策する。みずきは、意を決したように台風の日のことをひな子に語り始める。

 ひな子が学園にいた頃のことである。台風が直撃しそうになっているにもかかわらずひな子が戻ってこないので、心配したみずきと圭一が捜索に出かけた。「はけ」の下で泣いているひな子をみずきが見つけ、無事に三人で帰ることになるのだが、その途中、圭一はみずきに「結婚して一緒に暮さないか」と告白する。しかしみずきは「お寺に入るのはムリ」と言って、姿を消してしまう。海外で養蜂家として成功をおさめたみずきが突然帰ってきたきっかけは、彼女の妊娠であった。子を宿したことをきっかけにして、谷保の地に戻り、ひとりでその子を育てることにしたのである。

 圭一とみずきの間の事情を知らされていないひな子は、みずきが突然いなくなったことで、ふたたび“毋”に見捨てられたかのように感じていた。しかし、15年の時を経て再会したみずきの話を聴くことにより、幼年時代の記憶を回復し、母のふるさとである谷保という場所の力を全身で感得し始める。みずきと別れてひとり谷保の地を踏みしめ、樹々と交感し、辛かった過去の自分と向き合い、未知なる懐かしい物語を発見。谷保の地を「私のふるさと」だと思い定める。

 翌年4月後半、就職活動を進めていたひな子は、大学でグループ面接の講座を受講している。「被災地チルドレン」であることを前提に問いかける教授に対してはっきり否認し、「私のふるさとは谷保(やぼ)です」と言い放つひな子は、どこか晴れ晴れとしていた。

小説『たまらん坂』

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 「登り坂と降り坂と、日本にはどちらが多いか知っているかい」という主人公(飯沼要助)の不思議な問いかけから物語は始まります。中年サラリーマンの要助が通勤のために登り降りしているのは「たまらん坂」です。漢字にしても仮名にしても少し奇妙な名前の坂ですが、東京都の国立市から国分寺に抜ける通りに実在しています。要助は「たまらん」の意味が気になり由来を探っていくうちに、我が身を「落ち武者」に重ねて想像を巡らすようになります…。黒井千次氏による連作「武蔵野短篇集」の第一話。初出は『海』1982年7月。初刊は1988年7月。現在は、講談社より発行されています。

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小説家 黒井千次(くろい せんじ)

 1970年『時間』で芸術選奨文学部門新人賞受賞。吉井由吉、後藤明生、阿部昭、秋山駿らと共に「内向の世代」と呼ばれる。『群棲』(1984)で谷崎潤一郎賞受賞。その他主な作品に、『カーテンコール』(1994)、『羽根と翼』(2000)、『一日 夢の柵』(2006)などがある。1987年から2012年まで芥川賞の選考委員を務め、現在、日本芸術院院長。

PROFILE

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俳優 古舘寛治(ふるたち かんじ)

多くの映画、テレビ、舞台で活躍している。深田晃司監督の『淵に立つ』(2016年・日仏合作)で第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の審査員賞を受賞。

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女優 渡辺真紀子(わたなべ まきこ)

多くの映画、テレビ、舞台で活躍している。中野量太監督の「チチを撮りに」(2013年・日本)で第55回アジア太平洋映画祭の助演女優賞と第7回アジアン・フィルム・アワードの最優秀助演女優賞を受賞。

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女優 小沢まゆ(おざわ まゆ)

奥田瑛二監督作品『少女 an adolecent』(2001年)で、パリ映画祭主演女優賞受賞。

監督 小谷忠典(こたに ただすけ)

『いいこ。』(2005)が第28回ぴあフィルムフェスティバルにて招待上映される。『LINE』(2008)、『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』(2012)、『フリーダ・カーロの遺品 石内都、織るように』(2015)など。これまで20ヶ国以上の国際映画祭で招待・入選を果たしている。

プロデューサー 土屋忍(つちや しのぶ)

武蔵野大学教授。主な著書に『南洋文学の生成―訪れることと想うこと―』(2013)、編著に『武蔵野文化を学ぶ人のために』(2014年)などがある。NHK『絶景 巨大石柱林~中国・張家界を鳥瞰する~』(2017)の台本にも携わる。

アニメーション作家 大寳ひとみ(おおたから ひとみ)

東京藝術大学院在学中の監督作「おもかげたゆた」(2016)が、イメージフォーラム・フェスティバルにて寺山修司賞受賞。

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アニメーション作家・大寳ひとみによるワンシーン

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『たまらん坂』(2019年/モノクロ/86分/5.1ch)


出演

渡邊雛子
七里圭
渡辺真起子
楊昆鵬 康衆軼 李瀟
Richard Emmert Emma Spreng Mahide Jacques
石上和敬 久富健 角田将崇 大江悠司 平野真衣
梅地亮 橋野杏菜 内山薫 土屋湊
鈴木拓夢 山田航大 毛利晋久 関洸輔 中島聡太郎 真壁駿
片山遥 高木凛々子 中添ゆきの 池田聖香
東京工学院専門学校学生の皆さま
武蔵野大学学生の皆さま
黒井千次
小沢まゆ
古舘寛治

撮影

倉本光佑 小谷忠典

録音

柴田隆之 永濱まどか 土屋忍

助監督

溝口道勇 老山綾乃 角田将崇 小幡優芽美

制作

野本理沙 刑部真央 山本裕子 松井優香 梅地亮 大野秀美 畠山遥奈 田中美和 橋野杏菜 小亀舞 黒澤雄大 山路敦史 平林武留 加賀見悠太

HSR操作

中島佳昭 池田幸一

企画

土屋忍

脚本

土屋忍 小谷忠典

脚本協力

大鋸一正

映像合成

西埜寿

タイトルデザイン

hase

アニメーション

大寳ひとみ

子守唄

松本佳奈

整音

小川武

編集

小谷忠典

音楽

磯端伸一 ギター・磯端伸一 ピアノ・薬子尚代

使用楽曲

『ロックン・ロール・ショー』『多摩蘭坂』・RCサクセション

ヴァイオリン演奏曲

『4つのヴァイオリンのための協奏曲 ロ短調 Op. 3 No. 10 RV 580』・Antonio Vivaldi

使用文献

『角川日本地名大辞典/東京都』 『国立風土記』 『わが町国立』 『国立・あの頃』

写真提供

くにたち郷土文化館 武蔵国分寺跡資料館 株式会社サトウ

英語字幕翻訳

Don Brow

海外セールス

CaRTe bLaNChe

衣装協力

株式会社マイム 株式会社鈴乃屋

撮影協力

音楽スタジオジュン 光明寺 香念寺 増田書店 くにたち中央図書館 滝乃川学園 谷保天神 花園養蜂場 日本近代文学館 武蔵野大学(武蔵野キャンパス・有明キャンパス・むさし野文学館)

協力

阿部千秋 飯田妙子 飯田好美 小谷文葉 藪本千絵 小松俊哉 三浦理恵 御園孝 加藤綾佳 山口洋輝 大澤一生 山内大道 明石修 下村達郎 斉藤竹史 深澤茜 飯田和輝 光成菜穂 松浦駿亮 岩城賢太郎 柳田典子 宮川健郎 本橋一聰 滝野弘仁 三田誠広 Michael K. Bourdaghs
早稲田奉仕園 TOYOTA 講談社 武蔵野大学

原作

武蔵野短篇集『たまらん坂』黒井千次

製作

武蔵野文学館

プロデューサー

土屋忍

監督

小谷忠典