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作品概要

そこは、文学が息づく土地

古くから文学と結びついている土地、武蔵野
武蔵野に育まれた作家、作品、そして土地に生きる人々―
武蔵野と文学をテーマに織り成す映像タペストリー

西東京と文学をテーマに、書をもって町へ出た
ドキュメンタリーとフィクションが有機的に織り成す、新しい文学映画

 若者たちは書を持って街に出た。「西東京と文学について調査報告せよ」という課題を出された学生たちは、グループごとに作家ゆかりの場所を調べて訪ね歩き、そこで多くの人たちと出会いながら取材をしていく。並行して、ドラマとして描かれる女子大生・ノリコ(ドキュメンタリ・パートのノリコとの二役)の学生生活。まじめに課題に取り組む彼女は撮影係としてすべてのグループに同行してゆくのだが、ふとしたことから不思議な外国人の老婆と出会う。その老婆や調査した作家、文学の世界と関わるうちに、のり子は過去の体験と向き合い、自己の無意識に触れてゆく…。

 学生たちは五木寛之、松本清張、茨木のり子、こうの史代といった作家の作品を精読し、ゆかりの場所を訪ね歩く。この映画は、武蔵野に息づく作家、作品についての取材であると同時に、学生たちの姿を記録した青春ドキュメンタリーでもある。一方で 学生たちは五木寛之、松本清張、茨木のり子、こうの史代といった作家の作品を精読し、ゆかりの場所を訪ね歩く。この映画は、武蔵野に息づく作家、作品についての取材であると同時に、学生たちの姿を記録した青春ドキュメンタリーでもある。一方でフィクションパートでは、『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』『フリーダ・カーロの遺品 - 石内都、織るように』の小谷忠典監督が監修し、撮影にはプロのスタッフが参加。実際に本作に参加した女子学生が脚本家の企みに従い、自らの写し身を演じた。ドラマの中の彼女は演技することを通じて自我の目覚めを経験、この映画は彼女の成長物語でもある。また、西武新宿線の黄色い電車、作家志望者が参拝する田無神社、推理小説における事件の現場、描かれた「水の塔」の謎、藤村女子高等学校合唱部の歌声、ひばりが丘団地の生活…それらの風景を通して、武蔵野の土地の文化とその記憶を描いた。本作は武蔵野大学文学部創立50周年記念として製作され、学内における試写を経て2016年、渋谷のアップリンクにおける劇場公開に至った。

2016年の劇場公開時には、上映回ごとに以下のようなトークイベントが開催されました。

●3月12日(土)19:30
物語と音楽のハーモニー
登壇者:松本佳奈(シンガーソングライター)
劇中音楽を作曲した松本佳奈さんによるミニライブとトークイベント。松本さんが本作のために作った音楽に込めた想いとは。 物語に音楽が加わり、溶け合うことで生まれる美しい調和をお楽しみいただきました。

●3月14日(月)19:30
西東京と紡ぐ文学映画
登壇者:小谷忠典(映像作家)×土屋忍(大学教員)×山本恵司(西東京シネマ倶楽部)
本作の舞台、西東京。都市と地方の狭間にある「武蔵野」の街。小説、漫画、詩、作品ゆかりの地を巡り、その土地はどう捉えられたのか。西東京シネマ倶楽部代表、山本恵司さんを交えて映画と西東京の個性を探りました。

●3月21日(月・祝)16:00
受け継がれる詩と想い
登壇者:藤村女子高等学校合唱部×原優子(大学生)ほか
劇中に登場する藤村女子高等学校合唱部の皆さんによる、茨木のり子作詞の校歌の生披露とトークイベント。詩を媒介として繋がること、想いが受け継がれていくことについて、彼女たちの感性で語っていただきました。

●3月21日(月・祝)19:30
初めての文学映画を語る
登壇者:小谷忠典(映像作家)×合田典彦(脚本家)×漆川由希子(主演)ほか
本作品を作り上げた監督、脚本家、出演者、学生助監督によるトークイベント。本作が誕生した経緯や撮影秘話、作品を通して伝えたいことなど、あなたの「気になる!」に踏み込んだ内容をお届けしました。

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『ウエスト・トウキョウ・ストーリー』(88分/HD/16:9/カラー/ステレオ)
プロデューサー:土屋 忍
演出:小谷 忠典
出演:漆川由希子、リチャード・エマート、比田井克仁、賀陽智之、広瀬舟雲、柳舘伸、藤村女子高等学校合唱部の皆様、秋山法子
撮影(ドキュメンタリー):小谷忠典、菊池典明
撮影・照明(フィクション):倉本光佑
撮影助手:大槻秀平
録音:柴田隆之
助監督:菊池典明、岩村圭祐、朏汐里、桃沢健輔、松浦萌
演技指導:長友美紀
振付:リチャード・エマート
スタイリスト:吉田奈緒美(老婆)
ヘアメイク:momo(老婆)
能面(姥):伊藤弥兵衛八右
編集:小谷忠典、柴田隆之
脚本・構成:合田典彦
音楽:松本佳奈
企画:第十二期 土屋ゼミ
製作:武蔵野大学 「西東京と紡ぐ文学」実行委員会

メイキング・ストーリー

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 『ウエスト・トウキョウ・ストーリー』は、武蔵野大学の文学部創立50周年を記念して製作しました。その意味では、大学の文学部がつくった映画、といえます。
 私は、大学の文学部日本文学文化学科に所属する文学研究者です。文学研究者は、あらゆるテクストを扱い、テクストの成立背景を調査し、分析して、新たなテクストを自ら生み出し、新しい知見を提示することを仕事としています。「あらゆるテクスト」と言ったのは、「テクスト」が文字テクストだけを指すのではなく、映画というテクストも都市というテクストも含んでいるからです。今回、テクストを扱っているうちに新たなテクストが生まれる場面に立ち会えたのは、誠に僥倖でした。
 『ウエスト・トウキョウ・ストーリー』の劇場公開に至るまでの7つの段階をふりかえってみましょう。

書をもって、町へ出よう。

 2014年3月31日。初回のゼミで「外に出る」というテーマが浮上。このテーマに沿って課外活動の指針がたてられ、5月1日、たまたま打診のあった文学展示への参加を決定。そこで与えられた課題が「西東京市の文学」(後に「西東京と文学」に変更)。早速、研究・踏査・インタビューなどを開始し、作家別に5つの研究グループを結成。このときのグループが映画のドキュメンタリー・パート構成の原型となる。学生たちよ、書物に没入した後には「書を捨てよ、町へ出よう」(寺山修司)。そして再び「書をもって、町へ出よう」。

文学踏査の成果を、展示パネルに。

 西東京を含むここ武蔵野の地は、古くから文学と深い縁をもつ。西東京一帯の文学踏査を通じてわかったこと、明らかになったことを、写真と文字で伝える取り組みを開始。学園祭(2014年10月18~19日)には55枚のパネルを展示。さらにブラッシュアップをはかり、11月3~4日の展示(於:西武新宿線田無駅前のショッピング・モール「アスタ」市民広場)に臨む。

街へ出て、記録を撮ろう。

 各地の文学館にあるような映像資料を念頭に置き、文学踏査の様子を映像の形で残そうと考え、映画監督の小谷忠典氏を招いて撮影の準備を開始。当初の依頼は20分ほどの記録映像だったが、もともと映画やモノづくりの好きな学生たちを中心に盛り上がる。

文学と写真と映像と。

 文学展示「西東京と紡ぐ文学 ―ムサシノ大生が読むこの街―」を開催。ゼミを母体にした実行委員会を結成し、パネル展示とドキュメンタリー映像「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」(下記参照、このWEBから無料で観られます)の上映を実施。2日間の来場者は1,000名を超え、文字と写真と映像のコラボレーションが生成する力を体感する。

ドキュメンタリーからフィクションへ。

 バラバラに並んでいた5つのドキュメンタリー・パートの映像をつなぐフィクション・パート(ドラマ)が内々に構想され、脚本家による台本(第一稿)が届く。2014年11月16日、カメラマンの倉本光佑氏を招いて撮影の準備、台本読みとロケハンがおこなわれる。役者に能楽師のリチャード・エマート氏が加わり、メイクや衣裳をプロに依頼。撮影が開始される。台本は、第五稿で完成稿となる。

製作から公開へ。

 ゼミの課外活動としての映画の製作(撮ること撮られること、演じること演出すること…)が終了、映画をどこでどのように上映するのか(しないのか)についての検討を開始。「一生懸命つくったものを、できるだけ多くの人に見えてもらいたいとは思わないのか」(小谷監督)、「毀誉褒貶はあるだろうが、本当の意味で“外に出る”チャンス」(土屋プロデューサー)との意見があり、学内で試写会を行い、関係者の反応を確認。意見は分かれたものの、静かな議論を重ね、劇場公開を目指すことを決める。

映像から言語へ。

 撮影と文学踏査を通して見出した知見を、あらためて言語化する取り組みを開始。その一部は、試写会において研究報告を兼ねた冊子として配布したが、内輪色を払拭すべく、劇場公開用のパンフレットとして再編集し刊行。

 以上、文学テクストを起点にして、郊外というテクストを介して映像テクストが生まれ、ふたたび文学テクストが生まれたことになります。
 ドキュメンタリー・パートを繋いだ「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」は、ドキュメンタリー・バージョンとしてこのWEB内にて無料で公開しています。以下は、フィクションを織り交ぜて映画として完成させて劇場公開された『ウエスト・トウキョウ・ストーリー』(本編)についてのプロダクション・ノートです。本編をご覧になりたい方は、当文学館にメールでお問い合わせください。
(土屋忍)

プロダクションノート

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「具体」と「抽象」の巡り

小谷忠典(総監修)

 私は、少しでも、文学部の学生たちが「具体」を孕んだ言葉を得られるための、力になれればと思った。撮影中、ドキュメンタリー表現の基本的な手法であるインタビューや演出技術を使い、「具体」をどう捉えるのか、どう受け入れるのかということを学生たちに伝えた。

 学生たちは、現実を題材としながら世界を見つめる外的な行為と、自分を見つめる内的な行為が同時進行で進んでいくドキュメンタリーの魅力に触れながら、伸びやかに身を以て「西東京と文学」の関係性に立ち入って行った。

 法子さんがそっと近寄ってきた。そして、秋山さんが遺したメモ帳について話しはじめた。そのメモ帳も出版社に寄贈することになっていたが、法子さんについての記述があると再び戻ってきたそうだ。これまで一度も開いたことのなかったメモ帳を躊躇いながら覗いてみると、そこには赤ペンで丸く囲まれた「法」「痛」という文字がびっしりと書かれていたのだという。
 法子さんは長年、帯状疱疹を患っていて激しい痛みに襲われることがしばしばあり、それを秋山さんは「法」「痛」という記号で表していたのだ。

 痛みは共感できない。秋山さんは書くことで、法子さんの痛みを引き受けようとしたのではないだろうか。そう思うと目頭が熱くなるのを感じた。
 「法」「痛」の文字が種となり、私の内側で葉や枝を伸ばしはじめた。現実を捉える中で、湧き上がる想像もひとつの現実として作品に反映させる傾向にある私は、既に撮られたドキュメンタリーにフィクションを新たに撮り足し、融合させるという構想を立てた。
ゼミ生の漆川由希子を主演に選んだ理由は、大学の写真部である彼女が普段からレンズを通して「具体」を見つめていたからだ。能の喜多流仕舞教士、R・エマート先生が扮する不思議な老女との関わりの中で、法子は痛みの記憶と向き合い、「抽象」である言葉をノートに綴る。ノートを閉じた法子は、顔を上げ、再び窓の外に広がる「具体」に視線を送る。
 春、遂には映画となった『ウエスト・トウキョウ・ストーリー』の製作で、私が胸の内に留めたことは、「具体」と「抽象」の巡りによる確かな表現である。

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映画「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」の
よからぬ企みについて

合田典彦(脚本)

 映画『ウエスト・トウキョウ・ストーリー』の撮影において、「画になる人」として監督が最初に見出したのは、おそらく、文芸批評家の秋山駿氏の奥さんである秋山法子さんだったのだろうと思う。この映画に出て来る彼女を観ていると「画になる人」とは物語を感じさせる人である、と拙速にも定義してしまいたくなるような衝動にかられるのだが、彼女は実生活において「炊飯ジャー」をベランダに出して使用し続けていた人でもある。そのようなあり得そうも無い出来事の中で暮らし続けた人だからこそ、容易に映画の中の住人にもなれてしまうのかもしれない。そして、その人物の横にいまだ物語の手前で尻込みしているかのような一人の女学生を寄り添わせてみよう、勿論この女学生は素人であり、役者ではないけれど、だからこそ演じられる彼女の役があるはずだ、と我々がこの映画の脚本構成を練っていた段階で考えていたかどうかは心許ないが、それに類する企みがあったことは告白しておかねばなるまい。よからぬ企み、あるいは「業」の深い企みとすら言えるだろうか。
 それは、とある大学の文学部で学んでいる女学生がひょんなことから映画に出ることになり、その一年後、彼女の姿は劇場のスクリーンで衆目にむかえられることになる、というアイドル映画のような「物語」を、実際の一人の女学生の身の上に引き起こしてしまおうというものである。

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映画と小説の狭間で

菊池典明(助監督・武蔵野大学3年生)

 ゼミの活動として映画を撮った。タイトルは『ウエスト・トウキョウ・ストーリー』、西東京を舞台とした土地と文学の関わりを映すドキュメンタリーパートと、その調査をする架空の女学生の視点に物語を添えたフィクションパートを編んだ作品だ。私はドキュメンタリーの撮影とフィクションの副監督を担当し、編集の場にもお邪魔させていただいた。
 カメラを持って西東京の各地を巡る。作家がかつて見ていただろう景色を期待して歩いた。モニターのなかの区切られた世界は、私が普段なにげなく見過ごしてきた土地の色を、確かに切り取って増幅しているように思えた。参道は色づき美しく、開けた空は果てなく高い。古びた建物の壁は年月を感じさせ、取り残されたような空虚な広がりが切なさを喚んだ。しかし、その美しさやさびしさと、作家の目線は必ずしも一致するわけではないのだ。その風景と作品には何か薄い膜がある。カメラのレンズを通してモニターに出力される映像と、私の眼で見ていた土地に差があるように。

 文学として映画を観る。とりわけ文学研究の材として扱うには映画を「読む」必要がある。それは受け取った感覚的イメージを改めて作品に重ねつつ言語化することだ。しかし、映画の映画たる利点、「なま」のイメージ性を損なうことなく文章に表すにはどうすべきか。ずっと言葉を探している。学ぶべきことが山のようだ。

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映像から音が生まれるとき

松本佳奈(音楽)

 もともとは小説家になりたくて武蔵野大学の文学部に入学しました。住み始めた大学寮にたまたまピアノがあったので、浮かんだ言葉にメロディをつけて弾き語りを始めました。それが音楽の道に進むきっかけです。

 「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」は私にとって、新しい自分への入り口でした。歩けること、ごはんが美味しく食べられること、二度と戻らない時間、今生きていることの幸せ。ストーリーと自分とが何度もリンクして、涙がこぼれました。このお話をいただけて本当に有難く思います。武蔵野大学にゆかりのある方も、ない方も、ぜひご覧になって下さい。限りある命を生きる同士としてきっと胸に響くものがあるはずです。

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「ウエスト・トウキョウ・ストーリー」という文学研究

山路敦史(解説・北海道大学大学院生)

 『ウエスト・トウキョウ・ストーリー』の物語は、カメラマンである女子学生が、文学(研究)を通じて、生き方にもかかわるような認識の変容があり、それらを丸ごと〝西東京と紡ぐ文学〟という研究として書く行為へと結実させた、と概括できる。それらは法子の書くという行為に内在する様々な葛藤や矛盾、その過程において溢れ出た言葉たちそれぞれに価値を認めようとするものだ。
 しかし、法子のみならず文学踏査を通じて学生たちが発してきた言葉や身体感覚は、法子の物語に奉仕しながらも、物語の過程のなかでしっかりと息づいている。この映画には、いつでもそれぞれの学生たちが書きはじめるかもしれない可能性が孕まれており、それはいつでも『ウエスト・トウキョウ・ストーリー』のヴァリアントとなる。この映画は決して閉じられることのない不断の書き換えと複数化の可能性の途上のものとして成立しているのだ。
 それはまた、『ウエスト・トウキョウ・ストーリー』という文学研究として、〈西東京〉を文学とのかかわりにおいて安易に実体化せず、常に複数化の可能性を孕む豊かな思考の場として呈示していることを意味している。

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演じて紡ぐ、そしてつながる物語

漆川由希子(主演・武蔵野大学3年生)

 演じることは、その人物の物語を紡ぐことである。法子には法子の物語がしっかり刻み込まれており、それを演じることは、法子を物語るということだ。そして、私は演じることにより、自分の物語も紡がれていることに気が付いた。物語に閉じ込められたその人の物語を、現実の自分が物語る。そこで生まれる感情、経験、さまざまな事柄。それこそが私の物語なのである。

 物語と物語のつながりの中に、物語のひとつとして、自分がいること。誰かと、何かと、つながっていて、それはこれからも広がっていくこと。映画製作は、自分の気持ちや表現すること、仲間と一つのものを作り上げること、その他様々な経験を通じて、そのことを実感させた。人とかかわり、かかわることで人を好きになり、これからもつながっていくことを感じることができたのだ。わたしはそれが、とてもうれしい。

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ゼミの課外活動の一環として

岩村圭祐・原優子(武蔵野大学文学部 第12期土屋ゼミ ゼミ長)

 普段、うちへうちへと向かうことの多い「文学」を扱っている私たち文学部にとって、教室の外へ出て、地域と文学でつながろうとする今回の試みは新鮮な経験でした。こうの史代作品の主人公たちと同じ景色を眺めたり、五木寛之と同じように神社の床下に寝転がったり、茨木のり子が作詞した効果を現生徒が歌うのを聴いたり、松本清張作品の「現場」を探して死について考えたり、秋山駿の家で奥様と話しながら遺された言葉たちと対面したり。気がつけば、会ったことのない作家や登場人物の人となりや想いが、徐々に輪郭を持って心の中に存在していました。そうして、私たちはとても自然に、文学と向き合っていたのです。

 近現代文学を学ぶ正課のゼミに欠席する人はほとんどいませんでした。卒業研究と卒業論文の完成に向けての個々人の取り組みもありました。その上で、課外活動として、各班の作業、他班への連絡、映像の撮影、学園祭の準備、ゼミ合宿などがあり、色々なことが同時進行で進む中、目の前のことに一生懸命になっていた私たちは、当日になってようやく気づいたのです。「あれ、何だかすごいことになっている」と、あるいは「自分たちがやっていた作業は、この大きな全体を作る一つのピースだったのか」と。これが、私たちの正直な感想です。

2015年、映画をきっかけにして、田無神社と文学の関係を紹介する看板が立てられました。

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田無神社看板(表)「田無神社と五木寛之」


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田無神社看板(裏)「西東京という場所の力の源で」

※ 掲載されている所属や学年等は2016年3月当時のものです。

映画(ドキュメンタリー・バージョン)