泰山木の花や賜る手の如し 森貞 茜
(『2021年度武蔵野大学創作論文集』より)
上に記したのは、私が大学2年生のときに詠んだ俳句です。俳句歳時記を片手に武蔵野大学武蔵野キャンパスを散策していたときに立派な泰山木の花が咲いているのを知り、以来毎年初夏になると一句は泰山木の花で詠むことにしています。
このウェブサイトの名前にもある「歳時記」とは、季語(連歌や俳諧、俳句に詠み込む季節の言葉)を集めた事典であり、四季の移ろいと人間の営みを寿ぐ一冊でもあります。本記事では、四季折々の武蔵野で俳句を学んでいる私なりの”歳時記の読書法”をご紹介します。
まずは、知っている季語や兼題(作句のお題となっている季語)をひとつ引いてみます。あるいは、あえて適当にページを繰って知らない季語を探す、というのも楽しみがあってよいと思います。今回は、自然豊かな武蔵野キャンパスの中で私がいちばん好きな植物「泰山木の花」を引いてみます。
歳時記では、一年が春・夏・秋・冬・新年の五つの季節に区分され、季語は時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物の七種類に分類されています。「泰山木の花」は夏(初夏)の植物です。
ひとつの季語にフォーカスしてみると、版元によって多少の差はあれど、たいていの場合は〈季語、傍題(季語の言い換え表現)、解説、例句〉の順に縦書きで記されています。どの内容も季語の理解には欠かせませんが、私は特に例句をしっかりと読むようにしています。
ここで、「泰山木の花」項を引用してみます。
【泰山木の花】たいさんぼくのはな
泰山木はモクレン科の常緑高木で、六月ごろ直径一五センチほどの白い大輪の香り高い花を、空に向けて開く。葉は長さ一二~二五センチの長楕円形で、艶がある。庭木・街路樹として栽培され、宝珠形の蕾は茶花として用いられる。北米原産で、明治初期に渡来した。*泰山木だけでは花のことにならない。
壺に咲いて奉書の白さ泰山木 渡辺水巴
夢殿や泰山木の花ひらく 穴井 太
ロダンの首泰山木は花得たり 角川源義
あけぼのや泰山木は蠟の花 上田五千石
泰山木の花にきのふとけふの白 村上喜代子
人拒む高さに泰山木の花 田中春生
(『合本俳句歳時記 第五版』編:角川書店 KADOKAWA(2019年)より引用)
例えば、「泰山木の花」の実物をよく見た上でこの六句を読んでみると、いろいろと気づくことがあります。
泰山木の花の枝が挿されているのが花瓶ではなく壺で、和紙の一種で古文書にも使われている奉書が色味の表現に似つかわしいことから、文化財的な趣と相性が良いのだな。夢殿でも同じことが言えそうで、この場合は屋外で木に咲いているものだな。「ロダンの首」という固有なものに見立てたうえ、そう言い切ってしまっても負けないくらいに立体的で力強い印象の花なんだな。一輪に「きのふとけふ」のふたつの白の蓄積を見ることができるくらい厚い花びらを持っていて、その質感は蠟のようにこっくりしているよな。そういえば「木」というだけあって、人を拒んでいるかのような高いところに咲くよな。
例えば、こういったことです。ほんとうは一句一句丁寧に鑑賞すべきですが、それは読者の皆さまにお任せします。
植物の場合、見た目の特徴や開花の時期、匂いや効能の有無は解説に載っていることも多くあります。しかし、これらのほとんどはあくまで植物図鑑を見れば知ることのできる知識であって、詩の言葉としての解説ではありません。その植物が詩の言葉としてどのように機能するか、つまり、匂いの実感や咲いている場所の具体性、白い花ならどんな白さか、花びらの厚みや手触りはどんなか、何か相性の良い事物があるのか等、その季語が実体として、また言葉として普遍的に持っている雰囲気やオーラは、実景や感覚を言語化した秀句として例句に刻まれているのです。
こういった、季語の用い方に通底する要素のことを、季語の本意(ほい)と呼んでいます。
「俳句を始めて世界の見え方が変わった」とか、「世界の色が鮮やかになった」という話をよく耳にしますが(私もそうでした)、季語の本意を感覚的に掴み取ることができると世界の彩度と解像度が上がる、ということなのではないかな、と私は感じています。
もちろん、世界の見え方の変化はいろいろな要因が織りなす複合的な感覚でしょうから、他の要因は今後の記事で扱っていければと思っています。
ところで、ふだん俳句をやっているわけではない人と俳句の話をすると、「俳句 = 作る」という図式がなんとなく支配的な気がします。俳句を作らない人が季語や作品を読んで楽しむことって、実は盲点…?
しかし、画家ではない人でも美術館に絵を見に行くように、句を読んだり歳時記を読書したりすることも「俳句」という文芸を楽しむ方法のひとつだと思います。作品を読んで、真摯に鑑賞しようとしてくれる人が増えることは、俳句を作る人にとっても嬉しいことです。
ということで、冒頭に掲げた私の一句を皆さまはどのように鑑賞しますか?